歳をとるということ(H15.8月号)

歳をとるということ

 

長い梅雨も終わりやっと夏らしい天気が続いています。じめじめとした雨も嫌だが、この暑い毎日もなかなか慣れない。熊本の夏は本当に暑い!

夏期講習もそろそろ中盤に差し掛かってきた。今年は例年の倍以上の量の教材を準備してこの講習に臨んでいる。そのため準備がとても大変だった。夏期講習開始直前は職員全員が、代わり交代で何日も徹夜をしてその準備を行った。その甲斐あってか、生徒たちの取り組みも大変良いように感じる。各講師たちも自分たちが苦労して準備し、作った教材なので力の入れ具合も違うようだ。毎年、あらゆる面でどこの塾にも負けないものを作ろうと気合を入れて夏期講習に臨んでいる。今年も必ず良い結果が出るものと思う。暑い夏に負けないよう頑張って行きたい。

さて、私事で恐縮だが、今年で47歳になる。最近いろいろな意味で今までの人生を振り返ることが多々ある。この塾を開く前、会社勤めをしていたころはいつも不完全燃焼だった。これでいいのだろうかと満たされない日々を送っていた。仕事もまったく納得できないし、会社や上司に対しても不満だらけ。そして、考えに考えて思い切って独立を決意する。しかし、選んだ道はどこかのテレビのドキュメンタリー番組であるようなサクセスストリーなどとはまったく無縁で、大変ないばらの道。理想と現実は程遠いものであった。紆余曲折、七転八倒、孤立無援、泣きっ面に蜂、どちらかというと楽しいことよりもつらいことのほうが多い毎日。そして、幾度となくそのような道を選んだことを後悔するという情けない始末。しかし翻って、今はこうやって忙しいながらも子供たちと一緒に楽しく仕事ができている。そして目の前にはまだまだやらなければならないことが山とある。「今度はあれをしよう」、そして「この次はこうしよう」・・と結構わくわくしながら思いをめぐらしている。ひょっとしたらこれはとても幸せなことではないだろうか。「不完全燃焼をしている」などと思う暇もない。皮肉にも後悔の連続であった七転八倒の日々の中から得たものは、今の私にとってはどれをとってもかけがえのないものとなっている。いや、それこそが現在の自分を支える揺るがざる核となっていると確信できるのである。

隣の芝は青く見えるもので、今までどれだけ隣の青い芝がうらやましく思えたことか。でも、実はそれは現実のほんの一面で、かってにそれがすべてであるかのような錯覚をおこしてまっていたのである。そしていつまでたっても報われない自分を嘆いていた。今まで私が見てきた現実は、実はほとんどすべては、何のことはない自分が作り出した幻影だったということになる。歳をとることによって世の中の在りよう、人の在りようがこんなにも違って見えてくるものなのか。そうしみじみと思う今日この頃なのです。



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