怒りの矛先をどこに向ける?(H14.11月号)

怒りの矛先をどこに向ける?

 

最近、人の死が非常に多い・・・というのはマスコミでの話であって私の身近なところでのことではないのだが、とにかく多い。テロ、殺人、報復・・・テレビのニュースや新聞の紙面では必ずといっていいほど毎日これらの言葉を目や耳にします。確か私が高校生ぐらいの頃のことだったと思うが、アメリカのニューヨークというところは一度は行ってみたいあこがれの街だった。しかし、とにかく殺人事件が多い街だった。1日に何人もの人が殺される。とにかくやたら恐ろしい街という印象だった。ところがどうだろう。今やニューヨークより東京の方がずっと危ないらしい。ニューヨークは東京より安全なのだ。

日本でも、世界の国々でも、色々なところで人が死んでいってる。自爆テロは最も悲惨だ。何と17歳の高校生ぐらいの少女がその道を選び死んでいってる。これは一体どういうことだろう。なぜ自爆して多くの人々を道連れにして死ぬという悲惨な道を選ばなければならなかったのだろう。ニューヨークでの世界貿易センタービルへの航空機の激突。また先日ロシアではチェチェン共和国の独立をめざすグループと見られる集団が劇場を占拠した。しかしほとんど全員が射殺された。その半数近くは女性だったらしい。自分の命と引き替えに彼らは何を得ようとしたのだろうか。

自らの命を絶ち、それとともに見ず知らずの多くの人々の命を奪う。この行為はよほど強い動機がないとできないことだ。恐らくそれを決行する前は自分のことはもちろん、残される自分の家族のことも考えたことだろう。またそれによって傷つき死んで行く人、そしてその人の家族のことも当然考えたことだと思う。それにもかかわらずそのような行為を選ばせたものは一体何だろう・・。

日本のあちらこちらで起こる殺人事件。先ほどの事件に比べるとかなり程度の差はあるものの怨恨や恨みで起こる事件もかなりの数に上る。程度の差はあれその動機には似たようなところがあるものも多い。怨恨、恨み、そして怒り・・それを相手に向ける。その人を恨む。相手を憎む。確かに受けた傷は深いかもしれない。しかし、相手をこの世から抹消することですべてが終わるわけもない。それがわかっててもやらざるを得ないのだろうか。傷が深ければ、奥も深い。終わりのない迷路に迷い込むのである。

つづく



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