~在るがままに~(H13.12月号)

在るがままに~

 

いよいよ12月。今年も後一ヶ月を残すのみとなりました。12月にしては暖かい日々が続いています。あわただしい毎日ですが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

いろいろあった2001年でした。今年は個人的にもとても大きな変革の年でした。

人生の折り返し点を過ぎ、何と今頃やっと自分自身が少し見えてきたように思います。今までは生きてゆくことに精一杯で、ただがむしゃらに突っ走ってきました。何も見えないまま時には人を傷つけ、また人に傷つき、泣き言を言いながら、なんともみっともない姿をさらしてきたことか。方向性の定まらないままただ流されるままに流れてきて、はたと気づいたらもうこんな年になっている。髪の毛は白髪が目立つようになり。顔に刻み込まれたしわはいつの間にかより深く、より多くなってしまっている。「おいおいこのままでいいのかい?」とどこからともなく声が聞こえてくる。一体誰のために生きているんだい?毎日楽しいかい?充実してるかい?活き活き生きているかい?

いつの間にかいろいろなものを抱え込んで、人生がとても複雑になってしまっているのか、純粋にものを見ることができなくなってしまっているように感じます。「こうあらねばならない・・」「こうあるべきだ」「こうしなければならない」。父親は・・、夫は・・、課長は・・、社員は・・、先生は・・、母親は・・・そして人間は・・・であらねばならない。しかし・・・ちょっと疲れますよね。一番大切なこと・・・「こうありたい!」がどこにもない。私は一体どうありたいのでしょうか。まわりの中の自分、まわりの目や評価を気にしすぎるあまり自分の本当の姿が見えなくなってしまっている。

「こうあるべき・・・」で生きていると他人がそうでないと腹が立ってくる。自分はこんなにしているのに・・と「・・・のに」がつく。自分が人のために生きているから自分のことを考えてくれない人に腹が立つ。愚痴がでる。イヤミがでる。あーなんと悲しいことでしょう。いつの間にこんな人間になってしまったのでしょうか。自分のために生きていないからこうなる。人からほめられれば舞い上がり、けなされ嫌われればとたんに落ち込んでしまう。他人の表層的な態度だけで喜んだり、悲しんだり・・・。まわりがどうあろうが揺るがない主体が自分の中のどこにもない。他人の存在でしか自分の存在を確定できない。他人の評価がどうあれ、他人がどうあろうが、自分がありたいようにあればそこには自ずと心の底からわき起こる充足感がでてくるのではないか・・・と自分を振り返って思っているのです。

今までの若かりし自分は2001年に置いてゆこう。2002年は新しい自分に生まれ変わろう。自分が自分に帰る年にしよう。在りたいように在る。そして人知れず一人でほくそ笑むことを楽しむとしよう。そう思う年の瀬なのです。

ここで一句

在るがまま 在りたいように 在るならば

冬の夜風も また心地よし

よいお年を!



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